Jan 22, 2007

雑感・納豆

たまには真面目な話を書いてみようか。

 

普段TV見ない上に、納豆もあまり食べない私にとっては、Yahooニュースで初めてその事件を知った、あるある大辞典の納豆問題。ちょっと話題に乗るのが遅れたけど、それについて思ってる事。

 

市場から納豆が消えたというニュースを聞いて、まず最初に思ったのは「マジで女って馬鹿だなぁ」って事。世の中の女性の皆さんには悪いけど。そこまでして体重減らしたいのかと。より正確に言えば、『楽して』体重減らしたいのかと。

事実の再確認にすぎんが、一般的な女性にとって、美の追求は永遠のテーマなんでしょう。女性文化と男性文化で、容姿に対する重要度が全然違うってのが原因なんだろうけど。

 

でも楽して旨い話なんて、そうそう転がってないよね。俺だって、簡単に筋肉がつくとか、そういう話があったら飛びつくさ。それが本当に本当ならね。

で、そこで思った2つ目の事。「一般大衆って怖い」。既存マスコミの相変わらずの影響力を確認する形になった今回の件なんだけど、これがもし、もっと自分に影響のある事だったとしたら、と考えるとゾッとする。全世界を敵に回す恐怖というのは、今でも体に染み付いている(中学校時代の「全世界」と、今現在の「全世界」の差はおいといても。体感上はどっちも同じなんだし)。

 

さて、で、今回の件についてあちこちのBlogや2chなどを回ってみると、挙って言われてるのが「メディアリテラシーが身についてない」という事。あー、ちょっち嫌な記憶が甦りますね。

あるニュースに、集団が群がるという構図が起こる度に、この言葉を聞いているような気がする。リテラシー、リテラシーと馬鹿の一つ覚えのように。

確かにリテラシー大事。ある情報によって行動し、その結果何が起こるか、その責任は常に自分にある事を自覚しなければならない。

でもさあ、とも思う。いちいち行動する度に常にそんなこと考えてたら、そりゃあ神経症ですよ。精神的にどっかおかしくしますよ。俺みたいに既におかしくしてるんならともかく、やっぱそれをみんなに求めるのは無理がある。

 

で、濁した表現になっちゃうけど。マスコミも悪い。大衆も悪い。だからどうしろ、というわけじゃないんだけど、一方的に何かを叩くという構図だけでは、何も解決しないのかなぁと思ったもので。まあマスコミは何とかしてほしいよね。煽るような記事、番組ばっかし。特に、朝のワイドショーとか見てると、本気で頭痛がしてくる。

一般大衆のリテラシーについては…これは各々個人個人が啓蒙してくしかないんだろう。ただここで、いくつかのBlogを見てて気になったのは、選民思想というか、自分の思想が優れてて、大衆を見下ろす構図というのが出来てたということ。

それは違うだろう、と思う。人間が社会的な生き物である以上、自分も常に、その「愚かな一般大衆」側に含まれる危険性を感じていなければならない。例えどんなにマイノリティな人間であっても、だ。そんなマイノリティが集団になって力を振るえば、それはそれで悲劇に繋がる。それが「一般大衆」とどんな違いがあるのか。

 

 

まあそれはともかく、月並みですけど、我々の出来る事としては「常に情報の信憑性を気にしよう」という事を少しでも心に留めておこうね、という事でまとめにしておこう、と思います。…神経症にならない程度にね。

 

最後に、メディアリテラシーについて役に立ちそうな記事へのリンク。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/01/post_441.html

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Sep 08, 2005

クリエイター層と消費者の意識の違い

とりあえず、この記事をご覧頂きたい。今話題のマイヤヒについての記事である。

 

http://blog.livedoor.jp/geek/archives/50049020.html

 

あー…エイベ糞がやっちゃったね、って感じ。以前、タカラが似たような事をやって、あまりのお祭り騒ぎの為に謝罪して終了、って事があったのだが、今度は強気の姿勢が基本のavexである。どういう方向に流れていくことやら。これ、相手が不特定多数の2chだから通せるんであって、例えば某コナミとか相手にやったら即訴訟ものだぞ? 最近では、パワプロに似てるって事で、Neopleの「新野球」を相手に訴訟始めたらしいし。

 

 

で、この機会に、著作権について考えてみたい。まあコナミはちょっと行き過ぎの感はあるが、例えばDDRのような「曲に合わせてパネルを踏む」というアイデアをしっかりゲームとしてまとめた時、それをパクられたらやっぱ訴訟してもしょうがないと思う。

基本的にゲームの歴史(本当の所、ゲーム業界に限ったことではないのだが)というのは、パクリの歴史である。簡単に具体例をいくつか挙げてみよう。対戦格闘。縦スクロール弾幕シューティング。ノベル系恋愛シミュレーション。これだけで、私の言いたいことは分かると思う。そもそもゲームのジャンル自体が、パクリを黙認しているようなもんで、あとはその枠の中からどうやってオリジナリティを出していくか、という勝負なわけだ。

 

でもそれってどうなんだろう。著作権というのはそもそも、クリエイターの努力やアイデアを報われるようにする為の権利だと思ったが、違うのだろうか。上記の3つの例は、実質上、クリエイター側が「パクられた方が業界全体の活性化になる」と考えたからそれを容認してる、と私は認識している(事実、これらのジャンルについては、固定ファン(ゲーマー)が存在するくらいには活性化している)。

だからこれは、いくらでもパクっていい、という正当化にはならないだろうし、パクられて自分の不利益にしかならないのなら、クリエイター側は怒る権利は当然ある、というのが私の考えだ。

…ただ、ここで問題になるのは、肝心の「クリエイター」が1人じゃない場合、ましてどこに著作権が帰属するか、論理的に考えても不明な場合。こういうのを見ると、なんというか、人間の作る法制度の限界、というものを感じてしまう。

 

 

で、この間、実家に帰った際、妹S(上の方。結婚してる方)と、某電車男について、毒男板の著作権はどうなのか、と著作権について語ろうとした所、バッサリ一言で切り捨てられた。

 

「そんな難しい事は考えたいとも思わない」

 

これを聞いて、私は心底悲しくなった。結局の所、一般人の消費者にとって、パクっているかどうかとか、著作権がどこに帰属するかとか、そんな事はどうでもよい問題なのである。要は面白ければそれでいいのだ。その裏で、著作権がどうとか、そういうドロドロした話など、つまらないから聞きたくない、というのが一般人の本音なのだろう。

私も当然一消費者であり、「面白ければそれでいい」理論には納得してしまう部分ももちろんある。だが、やっぱりその裏で泣いているクリエイターがいるというのは、クリエイター魂が揺さぶられざるを得ないのだ。

 

この問題は簡単に、パクる奴は悪い・悪くないと割り切れる問題ではないだろう。まさにケースバイケースであり、これからも色々考えていかなければいけない問題なのだと思う。これを機会に、一般人の方々にも、著作権というものについて、少しでも考えてもらえたらなあと思うのだ。それが、オタクの兄の、一般人の妹達に対する願いである(笑)。

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